15. まとめと展望
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1. 脳画像技術
コンピュータを駆使した脳機能画像技術を用いて人間の認知行動の生物学的基盤を明らかにしようとする分野 近年、人間の脳の活性化領域を示したカラー脳画像が掲載されることが多く、そのような図は直感的にわかりやすいだけに、どのような測定原理によって得られた記録なのかを理解しないままなんとなく納得してしまいがち
様々な精神機能を担う脳部位を知る一つの方法は、その機能についての傷害を示す患者の脳損傷部位を特定すること 患者の脳に対し、周囲の様々な角度からX線を照射する 照射装置と向かい合う位置に検出器があり、照射装置の移動とともに検出器も移動する
脳の断層画像はX線の吸収密度の分布として得られる
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水素原子核(プロトン)は非常に早く回転(スピン)していて、通常の状態ではそれらのスピン方向はプロトンごとに異なるが、MRI装置の中で脳に高磁場を一方向にかけることにより、スピン方向が磁場方向に対し平衡に回転するよう変化する この状態で、ある特殊な周波数の電磁波をごく短時間与えると、この電磁波のエネルギーをプロトンが吸収し、次にこの電磁波を着るとプロトンのスピン方向はもとの磁場方向に沿った向きに戻っていく(この過程を緩和という) この緩和のときプロトンから発せられる電磁波が、MRIにおいて検出される信号
緩和の時間経過が脳組織ごとに異なるため、緩和の過程で発する信号強度さによって灰白質・白質・脳脊髄液などの違いがわかり、それをもとにして脳を画像化している 人間の脳の機能を画像化する非侵襲的脳機能測定法
頭皮上に電極を貼付け、電極付近の大脳皮質に生じている活動を集団として電気記録するもの 脳波は神経細胞の膜電位変化に起因する電気的活動を記録しているため、脳の活動をほぼ直接的に捉えていると言ってよく、実際の脳活動をほぼ遅延なく記録している ただし脳波は大脳皮質の活動記録であり、脳深部の測定はできない
2種類の脳波
持続的に生じる自発的脳波
ある事象に関連して発生する脳波
事象関連電位は、認知課題遂行中の実験参加者から脳波を記録し、ある特定の事象(e.g. 音刺激提示)の開始前後で時間を区切り、複数試行分の脳波を加算平均して求めるもの
刺激提示から波形のピークが見られるまでの時間(潜時)と極性を合わせて、たとえば潜時約170ミリ秒のマイナスの応答をN170、潜時約300ミリ秒のプラスの応答をP300などと称し、それらの応答と認知機能との関連が論じられる 神経細胞の膜電位変化に伴って電流が神経細胞の長軸方向に沿って流れる際、それと直行して発生する微弱な磁束の流れ(磁場)を記録するもの 空間分解能に優れ、また脳波と同様に時間的な応答性も良いが、脳磁図の記録も主に大脳皮質からのものに限られる 神経細胞を流れる電流の向きが頭皮表面に向かって垂直の場合には、磁場の検出が相対的に難しくなる
PETに用いられる放射性同位元素の半減期は比較的短く(2~110分, 核種による)、それを作るためのサイクロトロン(粒子加速装置)を実験施設内に併設する必要がある 神経活動をPETで測定しようとする場合、神経細胞の活動に付随して生じる二次的な現象を検出しているので、それは脳活動から少し遅れた時点でのものであることに注意が必要
磁気共鳴画像(MRI)の信号として用いる電磁波が、脳の局所的な磁場の均一性の違いによって変化する性質があることを利用している 脳が必要とする酸素は血中のヘモグロビンによって運ばれ、神経細胞活動の盛んな部位は酸素消費量が多くなる https://gyazo.com/548b051ed09da661301b49917474574b
脳活動が盛んな部位には、酸素現象を補填するかのように酸化ヘモグロビンが大量に流れ込む(インフロー効果)ので、その周囲の磁場の均一性が増し、検出信号はより大きくなる ある認知行動中の検出信号値が、その行動を行っていないときの基準信号値よりも大きくなった脳部位を活性化部位と推定する
fMRIの場合には放射性同位元素の投与などは不要であり、繰り返しの測定も可能
ただし検出している信号は、神経活動に伴って変化する血流の増加の、さらにそれによって生じる磁場の変化による信号の差異という間接的なものであるから、実際の脳活動から何秒か遅れた時点での信号であり、時間分解能も秒の単位 活性化された神経細胞付近の血流量が増加することを利用した方法
頭皮上のある点から近赤外線を脳に向けて照射プローブから照射する 血中のヘモグロビンの量により近赤外線の吸収される量が異なるので、反射してくる近赤外線量を検出用プローブで測定することによりヘモグロビン量の変化を検出できる
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この照射プローブ-検出プローブの組み合わせを何組も設ければ、脳活動の多点計測が可能
測定中、PETやMRIのような大掛かりな測定装置に体を横たえて動いてはならないといった制約はNIRSの場合にはないので、自然な体勢で行う認知行動課題をいろいろ用いることができるのは研究上の大きな利点
ただし、NIRSによる記録はおもに大脳皮質からの信号に限定される点、また血流変化という脳活動に伴う二次的な変化を見ている点に留意すべき
どの脳画像法も人間の脳の構造や機能を非侵襲的に知ることができる点で、人間の生理心理学的研究において欠かすことのできないもの
ただし、時間的な面・空間的な面で扱いきれない部分もそれぞれの測定法にはあるので、どのような行動を対象とするのかによって適切な測定法を選択する必要がある
2. 生理心理学におけるさまざまな研究テーマ
2-1. 脳の左右差
右半球のほうが優位な機能については1930年代まで明確にはわからなかった また、右頭頂葉の損傷によって左半側空間無視が生じるのに対し、左頭頂葉の損傷によって右半側の無視が生じることは少ないので、これは注意の空間的範囲が左脳よりも右脳の方が広いためと解釈されている 右脳か左脳のどちらか一方だけに課題刺激入力がなされるような工夫をした実験により、その人が主に右脳だけを使った場合とおもに左脳だけを使った場合との課題成績を比較した
離断脳では脳梁が前後に切断されているので、各半球への入力情報が反対の半球に伝えられる量は少ない
その結果、右脳は非言語的な課題遂行において優位ということが確認された
table: 表15−1 大脳半球のラテラリティ(側性化)
2-2. 飲水・摂食運動
飲水・摂食といえば心理学ではなく生理学の対象と考えるかもしれないが、この渇きや空腹が極限状態になるとほとんどすべての精神活動は意味をなさなくなってしまうほどに影響力のある動機づけであるから、これらは精神機能の根本に位置する機能とも言える 飲水・摂食を開始させたり終了させたりする神経系・内分泌系の体内メカニズムを同定したり、飲水・摂食の異常メカニズムや対処方法を探索する研究が行われている 男性と女性が示す行動上の差異が生じる原因について、周囲の人々がそのように扱うからという社会的要因の他に、身体上の違い(性ホルモンの違いなど)が行動上の性差を生む場合がありうる 男性ホルモンであるアンドロゲンが、その動物種の臨界期(人間の場合にはおそらく受精後10~12週間あたり、ラットの場合には誕生直前から誕生数日後ぐらい)に影響するか否かが、その後の行動(性周期の有無や動物の交尾行動のパターン、性的志向や遊びの種類など)に影響を及ぼすという研究がなされている 2-4. 運動の制御システム
ここから下方に軸索を伸ばす神経細胞が、生体の運動を引き起こすための信号を脊髄経由で発している 私達の動作の多くは無意識的に行われているが、少なくとも随意運動のメカニズムに突いては心理学の研究対象であろうし、外界への働きかけを行う運動制御システムの解明は心理学上の重要なテーマとなり得る 3. 今後の展望
生理心理学は、様々なアプローチを含む心理学の中で、自然科学的な色合いが比較的強い領域と言える
それゆえ方法論的には単純明快だと思われがちであるが、モノとしての実体のない心という機能が対象である以上、それほど単純とはいえない
心の機序の解明という目標に関しては生理心理学者の間で一致しているとしても、各研究者が用いている研究方略や「何がわかったら心がわかったことになるのか、わかったことにするのか」といったゴールに関する知識は、研究者間で見解・態度の相違がありそう 生理心理学には次の3つの態度が混在していると言えるだろう
心に関わる脳の情報処理機構を解明する上で、心・主観的体験に関わる用語は使わないという態度
実際に知りたいのは心だとしても、生理心理学がより科学的であるために主観的体験に関わる用語はあえて使わない、という立場
このようなカスケードがもしすべての精神機能の背後にあるものとして記述できたとしたら、それで心の生物学的基盤がわかったことにしてよい、という立場はあり得る
もう少し心を前面に出し、心から見た脳であるとか、脳から見た心という観点から、両者の関係性をもう少しつなぐような研究をすべきだとする態度
13. 意識と脳で用いた「意識」という言葉は純粋に主観的なものであって、何を意識しているかは本人にしかわからないわけだが、実験参加者が何かを意識しているときに脳の活動がどうなった、という対応を実験で調べれば、前段のひとつめのアプローチよりは心理学の研究らしいと感じる人もいるであろう しかし、心理学ではこのような心に関する概念を直接的に扱うのではなく、こういう実験条件でこのような行動上の結果が得られたら、そのときには実験参加者が意識していた(していなかった)状態とみなそう、という約束のもとに実験結果の解釈がなされる
つまり、心と脳の関係を調べているように見えて、実は心の現れとしての「行動」と脳の対応関係を調べていることになる 心の働きを表す言葉や概念はたくさんあるが、それを何の約束事もなしに科学的研究の俎上に載せようとすると、その心に関する用語が使う人によって意味するところが違うといった事態に陥るので、科学的議論が成立しなくなる
したがって、2つ目の立場であっても心を直接扱っているわけではなく、心を行動の用語に置き換えた上で、それと脳との関係を探っている
心、主観的な体験を可能にしている脳活動は何なのかを直接解明することをめざす態度
率直なところ、現在の生理心理学においてはそのための研究手法も知見も不十分であると言わざるを得ないが、科学的手法からは外れない範囲で、心を生んでいる神経細胞レベルでの対応物は何か、ということを研究しようとする動きが出てきている
現在の生理心理学はこれらの3つの態度や目標が混在しているように思われるが、方針を無理に統一するのではなく同時並行的に進めていくほうが多角的な心の理解が可能でありまた生産的であろう
生理心理学は、心は脳のはたらきであるとの仮定のもとに研究を進めている
心をモノと同一視するようなこの作業仮説に対し、人間の尊厳や心の尊厳を損なうものではないかとの懸念を抱く人がいるかもしれない
私達の脳は元素レベルにまで還元できるモノであって、その意味では生命を持たない物質と何ら変わるところがない
しかし、カナダの生理心理学者ヘッブが述べているように(Hebb, 1975)、心を物質と同一視することは、心の価値を低めるのではなく、物質の価値を高めることであるとの考え方も成り立つ